このあいだ父方のばあちゃんが97にして大往生して。
葬式のために旭川まで行って、しばらくぶりにばあちゃんの顔を見た。
しばらくぶりだったけど、以前と全然変わってなかった。
「眠っているような」という形容がピッタリだったんだけど
死んでいるのだから寝ているわけではない。
もう何も動いていない。動くことがない。血が流れていない。
ほんのわずかにも反応することがない。
死んじゃうってのはもう本当に、なにもうごかなくなることなのだと
二度と動かなくなることなのだと
なんだか急に思い知らされた。
97までも生きたら諦めもつく。でも諦めるのとかなしいのとは全然違う。
97まで生きようが100まで生きようが、
うごかなくなってしまうことは ただ かなしい。
これが「若くしての」とか「不遇な」とか「なぜ」とかだったら
かなしいうえにあきらめることもできない。
だから私達は諦めがつくまで生きなきゃならない。
誰にも悲しまれずに死ぬ人がどこにいるものか。



